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2021/10/30


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京野菜の「堀川ごぼう」をご存知ですか?

 

堀川ごぼうは直径6 - 9cm、とても太いのが特徴です。

 

太いから硬いかと思ったら、柔らかくてびっくり! 美味しいです

 

11月上旬から12月下旬にかけて収穫するので、まもなく旬を迎えます。

 

この堀川ごぼうは、もともとどこに生えたでしょう?



答え:ゴミ捨て場

 

ええ?どういうこと?

 

平安宮の多くの建物が大火事で焼けてしまい、もう再建されませんでした。

 

そして、この辺りはだんだん廃れていってしまい、鎌倉時代には一面野原になって「内野」と呼ばれました。

 

その後、豊臣秀吉がここに関白の公邸として「聚楽第(じゅらくてい/じゅらくだい)」を造りました。

 

聚楽第は堀と石垣で囲まれ、やぐらがあるなど城郭の様式を取り入れた邸宅でした。

 

天皇をお迎えする行幸と、外交使節との会う場所はこの聚楽第でした。

 

秀吉は天下統一を果たした翌年の1591年に、関白職と聚楽第を甥の秀次に譲り渡しました。

 

しかしその後、秀吉と秀次の関係が悪化!

 

秀吉は秀次を高野山で切腹させ、聚楽第をこわしてしまったのです。

 

聚楽第が壊されたあと、その堀はゴミ捨て場となりました。(地面より掘ってあるからゴミが捨てやすかったのか)

 

そしてこの聚楽第のお堀だった所は、有機物に富んだ良い土壌になりました。

 

食べ残しのごぼうが捨てられていたものが、偶然めっちゃ大きく成長し「デカデカ」になったのがきっかけとなり、堀川ごぼうの栽培が始まったと言われています。




「ごぼう」は、中国語で、‟牛蒡 niúbàng”

 

作蔬菜栽培时,选择土层深厚、疏松的沙土或壤土,土壤有机质含量丰富,pH值6.5〜7.5为宜。

 

Zuò shūcài zāipéi shí,xuǎnzé tǔcéng shēnhòu、shūsōng de shātǔ huò rǎngtǔ,tǔrǎng yǒujīzhì hánliàng fēngfù,pH zhí 6.5 ~ 7.5 wéi yí。



訳文:

 

野菜として栽培するには、有機物が豊富でpH6.5〜7.5の、深くて柔らかい砂質やローム質の土壌を選びます。




堀川ごぼう、近所のスーパーであまり見かけません。

 

見つけると、うれしくてすぐ買います。

 

お値段は普通のごぼうの数倍しますが・・・・・・。

 

でも、実際に食べておいしいですし、これって400年前からある野菜と思って食べると面白いですよ。

 


2021/10/29

京都アスニーの玄関前には「造酒司跡」の石碑と説明が書いてある看板があります。

 

その向かって左側の壁にこんなタイルが貼ってあります。



この丸いのはいったい何???

 

答え:平安宮を代表する瓦の文様

 

この瓦、「軒丸瓦(のきまるかわら)」といって、のき先など屋根の縁をかざる瓦です。

 

例えばお寺などで見かける、この写真の一番下に写っているような丸い瓦。




平安宮で出土した軒丸瓦をかたどって、この装飾タイルが作られ、

平安宮の象徴として、京都アスニーの西側の壁面に貼られています。


 

そしてこのタイル、よ〜く見ると真ん中に「栗」の文字が!

 

なぜ?

 

栗の木を薪にして焼いたから? 

 

作った人の名前? 

 

作った人が栗が好きだった?



答え:「栗栖野」というところで作ったから「栗」の字が入れてあるのです!

 

「栗栖野」は、京都の今でいう左京区の岩倉にあり、当時は良い土と良い薪になる木がたくさんあって、焼き物を作るのに適していたそうです。

 

焼き物と言えば、清水焼!と思いますが、それだけではなかったのですね。




平安宮で出土した軒丸瓦の実物が、京都アスニーの玄関を入ったすぐ左のケースに展示されています。




京都アスニー玄関前の「造酒司」の倉庫の柱の跡もそうですが、

 

京都アスニーを訪れた人になんとか平安宮のことを知ってもらおうと、

 

外の壁に、この瓦の文様の装飾タイルを貼りつけたそうです。

 

また、京都アスニーが40年前にオープンしたときにこの装飾タイルが「記念品」の引き出物になったとのことです。




かわら【瓦】  は中国語で、‟瓦wǎ”

 

漢字は一緒ですね。

 

例文:


瓦をふく|铺pū瓦;瓦wà瓦;上瓦.

 

瓦ぶきの家|瓦房;瓦顶的房子



平安宮がさらに身近に感じました。

 

私も家の下を掘ったら「栗」の瓦が出てこないかな・・・・・・



2021/10/28

平安宮には天皇の住まいである内裏のほかに、

 

朝堂院や豊楽院などの宮殿建築や、

 

二官八省などの国家政治を行う重要な役所が並んでいました 。

 

丸太町通七本松を西に約50メートル行った北側に中央図書館と京都アスニーがあります。

 

この場所は平安宮の時代、「造酒司」という宮内省に所属した官庁で、

 

儀式や饗宴に使う酒や酢などを製造するところでした。




京都アスニーの玄関前の地面にこのようなものが十数個描かれています。


これは一体何でしょうか?サイコロの一の目???

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答え:倉庫の柱の跡

 

1977年から発掘調査が行われ、

 

平安時代前期の建物跡として

 

高床式倉庫も見つかりました。

 

実際に掘って出てきたので「物的証拠」です。

 

これは、昔の図や絵、文献などと一致したそうです。



この倉庫は材料となるお米や作られたお酒などを保管するためのものでした。

 

この十数の柱跡の模様、結構「密」に描かれているのですが、

 

すなわち柱も「密」だったわけで、重い物を置いても大丈夫なようにと、このような造りになっていたということです。

 

そばには石碑と案内板があります。




もう一つクイズです。

 

お酒の材料のお米はどこ産?地方から?

 

答え:地方から来るのは布などで、お米は近隣から来ていたそうです。



看板からの抜粋:

 

造酒司负责酿造朝廷宫廷宴会,祭祀仪式等使用的酒和醋等。

 

迄今为止,虽然在平安宫遗迹上进行了为数众多的调查,

 

但系统地发掘到建筑物遗迹的例子却极为罕见,

因此象该仓库遗迹一样,作为平安京创建时期的建筑物遗迹能够在保存良好的状态下,发掘出来是非常难能可贵的,

此外,因其对于平安宫的复原是十分重要的遗迹,故而被指定为京都的史迹。

 

訳文:

 

造酒司は、宮中の宴席や儀式に用いる酒や酢の醸造を担当していました。

 

平安宮の遺跡は多くの調査が行われていますが、建物の遺跡が系統的に発掘されることは珍しく、

 

この倉の遺跡のように平安京創建時の建物の遺跡が良好な状態で発掘されることは奇特で貴重であり、

 

また平安宮の復元に重要な意味を持つことから、京都府の史跡に指定されています。



しばしここに立って、どれだけたくさんの美味しいお酒がつくられていたのか、昔の人の生活を思い描くのも面白いですね。


2021/10/27

新型コロナウィルス感染者が減少し

 

京都では、営業時間の短縮と酒類提供制限の要請が10月22日、約半年ぶりに解除されました。

 

この数日京都市内の繁華街は夜遅くまで会食を楽しむ人たちでにぎわっているとのことです。

 

今までガマンだったので、みんなとご馳走食べに行きたいですよね〜。



平安宮の時代でも同じように楽しく会食していたのでしょうね。

 

丸太町七本松の交差点から南東へ歩いて2分ほどのところに「豊楽院跡」があります。




「豊楽院」は、いわゆる迎賓館、宴会場でした。



道を挟んだ南側には「豊楽殿跡」の碑と案内板があります。

 

「豊楽院」の正殿が「豊楽殿」




近年発掘調査により、この一角に土が盛り上がったところがみつかり、

 

そこは当時の天皇が宴会に列席の際に使った玉座の基壇の跡だと分かったそうです。

 

また、「豊楽殿」は平安神宮の社殿のモデルになった建物です。

 

今の平安神宮の社殿は屋根瓦全体が緑色ですが、

 

発掘調査で見つかった「豊楽殿」の瓦は緑の割合がそれほど多くはなく、

 

当時の「豊楽殿」の屋根は今の平安神宮ほど緑ではなかったそうです。




「豊楽殿跡」の案内板には、QRコードがあり、Uni-Voiceというアプリを使って読み込むと、文字と音声の説明が読んだり聞けたりします。

 

日本語、英語、そして中国語もあるので、試してみました。

 

これはその中の一文です。

 

 

‟丰乐院则是在举办国家仪式后设宴的地方,于9世纪初期建造完成。”

Fēnglè yuàn zéshì zài jǔbàn guójiā yíshì hòu shèyàn de dìfang,yú 9 shìjì chūqī jiànzào wánchéng.

 

訳文:豊楽院は、9世紀初頭に国の儀式の後に宴会を行う場所として建設されました。


このシステムは、外国人観光客を対象にして、設置されたそうですが、こういうものを中国語学習のひとつのツールとして、活用するのもいいですね。


2021/10/26

京都市内、下立売通の一筋北は、新出水通です。

 

千本通と、この新出水通の交わる交差点を東に100メートル行くと

 

木造平屋の建物が並んでいます。

 

このあたりが、源氏物語の舞台にもなった、「弘徽殿」があったところです。





弘徽殿、天皇がお住まいの御所内にある後宮七殿のうちのひとつ。

 

天皇の住居である清涼殿の近くにあったので、

 

皇后や中宮、あるいは権力を持った女御が住まいとして使っていました。

 

弘徽殿,为天皇御所内的后宫七殿之一。

Hóng huī diàn,wéi tiānhuáng yù suǒ nèi de hòugōng qī diàn zhīyī.

 

由于位于天皇所居的清凉殿很近,

Yóuyú wèiyú tiānhuáng suǒ jū de Qīngliáng diàn hěn jìn,

 

因此多作为皇后、中宫或有势力的女御所居之宫室。

yīncǐ duō zuòwéi huánghòu、zhōnggōng huò yǒu shìlì de nǚ yù suǒ jū zhī gōngshì。




案内板があります。




この辺りは平安京の内裏でした。

 

内裏とは、天皇の私的区域のことで、御所、禁裏、大内などとも呼ばれます。

 

平安京の内裏は、内郭と外郭の二重構造で、

 

内郭はさらに南半部と北半部に分けられ、

 

南半部は儀式を行う「ハレ」の場、

 

「北」半部は天皇 とその家族の私的な生活空間「ケ」の場で、「後宮」と 呼ばれました。

 

確かに新出水通りの

 

「北側」に、

 

写真の案内板がありました。

 

弘徽殿は、すなわちその「後宮」で、位の高い方が住んでいたので、「源氏物語」の舞台だったわけです。




ここでクイズです。この平安皇族のお住まいだった場所、今は何でしょう?

 

答え:「民泊」として使われているそうです。外国人観光客も泊まるのですね〜。


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