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2023/02/06

元宵節の風習

提灯なぞなぞ

「提灯なぞなぞ」は、中国独特の民俗色に富んだレクリエーションで、元宵節の特徴的なイベントとして古くから伝わっています。


旧暦の1月15日、人々は色とりどりの提灯を吊るし、花火を打ち上げます。


そして、もの好きな人々が短冊になぞなぞを書いて色とりどりの提灯に貼り、人々がそれを当てるのです。


なぞなぞは知恵を啓発し、お祭りの雰囲気に合うので、多くの人がなぞなぞ解きに応じ、次第に元宵節に欠かせないイベントとなりました。


提灯なぞなぞ解きは、祭りの雰囲気を盛り上げるとともに、古代の漢民族の労働者の聡明さと才知と、豊かな生活へのあこがれを表しています。


「提灯なぞなぞ」は 、提灯祭りの後の追加行事として、宋の時代に登場しました。


 南宋時代、都の臨安で元宵節に謎かけをし、多くの人がそれを当てました。 


当初は短冊に書いたなぞなぞを色とりどりの提灯に貼り付けて、人々に当ててもらいました。 


なぞなぞは、知的好奇心を刺激し、面白いので、社会階層を問わず人気があったのです。


中国語意訳:


”猜灯谜”是中国独有的富有民族风格的一种汉族民俗文娱活动形式  ,是从古代就开始流传的元宵节特色活动。


每逢农历正月十五,民间都要挂起彩灯,燃放焰火,后来有好事者把谜语写在纸条上,贴在五光十色的彩灯上供人猜。


因为谜语能启迪智慧又迎合节日气氛,所以响应的人众多,而后猜谜逐渐成为元宵节不可缺少的节目。


灯谜增添节日气氛,展现了古代汉族劳动人民的聪明才智和对美好生活的向往。


“猜灯谜”又叫“打灯谜”,是元宵节后增的一项活动,出现在宋朝。


南宋时,首都临安每逢元宵节时制迷,猜谜的人众多。


开始时是好事者把谜语写在纸条上,贴在五光十色的彩灯上供人猜。


因为谜语能启迪智慧又饶有兴趣,所以流传过程中深受社会各阶层的欢迎。


なぞなぞに挑戦!

それでは、なぞなぞを解いてみましょう!



  • 八十八,猜一个字。

  八十八、ある漢字一字を当ててください。


  答え:「米」



  • 守门员,猜一个字。

  ゴールキーパー、ある漢字一字を当ててください。


  答え:「闪」(門の中に人)



  • 七十二小时,猜一字。

  72時間、ある漢字一字を当ててください。


  答え:「晶」(日が3つで、1日24時間×3日=72時間)


まとめ

中国も日本も漢字を使うので、このような「なぞなぞ」は親しみやすく面白いですね。


では日本語でなぞなぞ!


「お腹をすかしたパンダの手にできてしまうものは何でしょう?」


ヒント:ハラがへったから ◯◯をくれ!


答え:「ささくれ(笹くれ)」(ジャンジャン)



2023/02/05

元宵節に食べるもの

元宵を食べる

元宵節は正月15日のことで、中国では古くから「元宵」を食べていました。


宋の時代、明州(現在の浙江省寧波市)で目新しい食べ物が生まれ、それは最初「浮元子」、後に「元宵」と呼ばれ、商売人の間では麗しく「元宝」とも呼ばれていました。 


元宵は砂糖、バラ、ゴマ、あずき餡、豆板醤、黄耆、肉桂、クルミ、落花生の実、ナツメなどをあんにして、もち米粉で包んで丸い形にしたもので、肉をいれたり野菜のみの具材もあり、様々な風味がありました。 


これをスープに入れて煮たり、揚げたり、蒸したりして食し、これには(別れていた親族が)団らんするという意味があります。 


陝西省では、元宵を包むのではなく、もち米粉の中で「転がして」作り、茹でたり揚げたりして作り、あつあつほかほかの丸々です。



吃元宵


正月十五吃元宵,“元宵”作为食品,在中国也由来已久。


宋代,当时明州(现为浙江省宁波市)兴起吃一种新奇的食品。


这种食品,最早叫“ 浮元子”,后称“元宵” ,生意人还美其名曰“元宝” 。


元宵以白糖、玫瑰、芝麻、豆沙、黄桂、核桃仁、果仁、枣泥等为馅,用糯米粉包成圆形,可荤可素,风味各异。


可汤煮、油炸、蒸食,有团圆美满之意。


陕西的汤圆不是包的,而是在糯米粉中"滚"成的,或煮司或油炸,热热火火,团团圆圆。



注釈:”团圆tuányuán  ” には、(離散した肉親や夫婦が)再会する,いっしょになる,長期の離散の後に再会するという意味と


円形の、丸形の、という意味があります。


歴史的な伝説

  • 伝説1

元宵節の風習の成立については、さまざまな説がありますが、一般的には漢の時代にひな形が形成されたと考えられています。


記録によれば、漢の武帝の時代、漢族は「太一」という神を祀っていました。 


「太一」は当時をときめく、五帝より上位の著名な神で、漢の皇帝に利益を与えたので、より盛大に祀られていました。


  • 传说一

关于元宵节习俗的形成,说法颇多,但一般变为在汉代就初具雏形。


史载汉武帝的时候,汉室要祭祀一位叫“太一”的神明。


据称“太一”是当时相当显赫的一位神明,地位在五帝之上,并有恩于汉帝,所以受到的奉祀比较隆盛。


  • 伝説2

伝説によると、漢の武帝の時代に「元宵」という名の宮廷女官が、長年宮中に閉じ込められ、両親を思っては毎日泣いて暮らしていました。 


大臣の東方朔は彼女を助けようと思い、玉皇大帝(中国道教における事実上の最高神)が正月15日に長安を焼くよう火の神に命じたと、漢の武帝に嘘をつき、その災難から逃れるには正月15日に「元宵」女官に、火の神が好む団子をたくさん作らせ、臣下に提灯を立てさせて出すしかないと言いました。 


漢の武帝はそれを聞き入れ、「元宵」はついに家族に会うことができ、それ以来、元宵節を祝うようになりました。


  • 传说二

相传汉武帝时宫中有一位宫女,名叫“元宵”,长年幽于宫中,思念父母,终日以泪洗面。


大臣东方朔决心帮助她,于是对汉武帝谎称,火神奉玉帝之命于正月十五火烧长安,要逃过劫难,唯一的办法是让“元宵姑娘”在正月十五这天做很多火神爱吃的汤圆,并由全体臣民张灯供奉。


汉武帝准奏,“元宵”姑娘终于见到家人。此后,便形成了元宵节。


  • 伝説3

元宵節の起源について、民間には面白い言い伝えがあります。 


元宵節の起源は、春秋時代の楚の昭王と伝えられています。


ある正月十五日、楚の昭王が長江を通りかかると、川の水面に外が白くて中が赤い甘くておいしそうな食べ物が浮かんでいるのが見えました。


楚の昭王が孔子にこれは何かと教えを乞うと、「これは王のもとにもたらされた吉祥です」と言われました。 


この日が正月15日であったため、この日が来るたびに、昭王は部下に命じて麺でこの果物を模し、サンザシで作った赤い餡で煮て食べました。これが現在の元宵節の原型となったそうです。


それ以来、元宵節に元宵を食べるのが伝統になりました。


  • 传说三

关于元宵节吃元宵的来历,民间还有种有趣的传说。


相传:元宵起源于春秋时期的楚昭王。


某个正月十五日,楚昭王经过长江,见江面有漂浮物,为一种外白内红的甜美食物。


楚昭王请教孔子,孔子说"得之主复兴之兆"。


因为这一天正是正月十五日,以后每逢此日,昭王就命手下人用面仿制此果,并用山楂做成红色的馅煮而食之,这便是现今元宵的雏形。从此,元宵节吃元宵便成了一种传统。


元宵を食べる風習を今も大切に

旧暦の1月15日の元宵節には、北京の飲食店や菓子屋、さらには道の両脇には元宵の屋台が並び元宵が販売され、各家庭でもあつあつの湯気が立つ元宵を食べ、先祖から受け継いだ風習をとても大切にしています。


吃元宵


元宵佳节,北京的饮食、糕点铺,甚至连马路两边都设摊兜售元宵,家家户户在正月十五这天都吃碗热气腾腾的元宵,人们是多么留恋我们祖先遗留下来的风俗呀!


2023/02/04

「元宵節」

「春節」は聞いたことがあるけど、「元宵節」は知らないと言う方もいらっしゃるでしょう。


「元宵節」とは

日本語では「元宵節」や「小正月」と言われる”元宵节Yuánxiāojié”。


一体どういうこと??


まずご存じの「春節」ですが、これは旧正月のことで、中華圏では新暦の1月1日よりもこの「春節」をお正月として過ごします。


その「春節」、いつまで?


三日間?一週間?


いえいえ、もっと長くて旧暦の1月15日まで続きます。


この旧暦の1月15日、すなわち春節期間の最後の夜は、新年最初の満月の夜なのです。


「元」は「第一の、はじめの」という意味で、「宵」は「夜」を指すので、


この旧暦1月15日を「元宵節」と呼びます。


道教・仏教と結びついた“元宵节”

  “元宵节”は道教の三元信仰  (1月15日の“上元”,7月15日の“中元”,10月15日の“下元”)と


 灯籠を掲げて仏を祭る仏教の習俗が混交したもので,


 “灯节Dēngjié”(灯籠節),“上元节Shàngyuánjié”(上元節)ともいいます。


この日,公園や建物などを灯籠・ちょうちん・リボンで飾ります。


「元宵節」呼び名の変遷

社会や時代の変化とともに、元宵節の風習や伝統もかねてより大きく変化してきましたが、中国の伝統的な民俗行事であることに変わりありません。 


元宵成立初期の頃は、正月15日、正月半や月望と呼ばれていましたが、隋の時代以降は元夕や元夜と呼ばれるようになりました。 


唐の初期には道教の影響を受けて、上元とも呼ばれ、唐の末期になって初めて元宵節と呼ばれることもありました。 


しかし、宋の時代から灯夕とも呼ばれるようになり、清の時代には、灯節とも呼ばれるようになったのです。


中国語意訳:


随着社会和时代的变迁,元宵节的风俗习惯早已有了较大的变化,但仍是中国民间传统节日。


元宵在早期节庆形成过程之时,称正月十五、正月半或月望,隋以后称元夕或元夜。


唐初受了道教的影响,又称上元,唐末才偶称元宵。


但自宋以后也称灯夕。到了清朝,就另称灯节。


元宵節にまつわる故事

一羽の白鳥が天より人間界に舞い降りた際、一人の猟師の放った矢で傷ついてしまいました。


それを知った玉皇大帝(中国道教における事実上の最高神で、天界または宇宙の支配者であり、その下の地上・地底に住むあらゆるものの支配者)は、激怒り!


正月15日に天より兵を遣わし地上を焼き払うことにしたのです。


その計画を知った一人の仙人は民衆を救うために地上に降り、正月15日に家々で松明を燃やし提灯を灯すことで厄災を逃れることができると伝えました。


人々は仙人の言葉の通りに正月15日に松明を燃やし提灯を灯すと、その仙人は玉皇大帝に対し既に地上は焼き払ったと報告しました。


玉皇大帝が神さまたちを率いて地上を見下ろすと、地上は赤々とした炎に包まれており、既に地上を焼き払ったと思ったのです。


こうして人間界は焼き払われるのを免れました。


このことから毎年正月15日に提灯を灯す習慣ができたといわれています。


まとめ

いい仙人さんがいてよかったです。そうでないと大変!火災保険入ってへんし!その時代、保険ないちゅうの!


さまざまな習慣がありますが、元宵節に食べるおいしいものを次回紹介します。

2023/02/03

節分情報アラカルト2


今や節分には恵方巻きは欠かせませんね。


スーパーでも様々な巻き寿司が販売されていて、その種類にビックリします。



恵方巻とは

 

恵方巻は比較的太めの手巻き寿司で、かんぴょう、キュウリ、卵焼き、うなぎ、でんぶ、しいたけ、エビなど、七福神に見立てた縁起の良い具材が入っています。


中国語意訳:


惠方卷是一种相对较粗的手卷寿司,里面有腌葫芦条,黄瓜,鸡蛋卷,鳗鱼,肉松,椎茸,虾等来源吉祥地材料,代表着七福神。



食べ方

食べるときは、必ずその年の良い方角年に向かって食べるようにしましょう。


また、目を閉じて願い事を思うことで、厄除けや商売繁盛の効果があります。


中国語意訳:


吃的时候,一定要朝着当年的惠方吃,同时闭眼睛想着自己的愿望,有可以驱邪避灾和生意昌隆的效果。



恵方巻の起源

恵方巻の起源については様々な伝説があり、その信憑性は定かではありませんが、


豊臣秀吉の家臣である堀尾吉晴が、出陣の前日に海苔巻きを食べ、戦に大勝利したそうです(ただし、板海苔は江戸時代にできたので、この説はあまり根拠がありません)。


中国語意訳:


惠方卷的起源传说有很多种,其可靠性暂未明确。


丰臣秀吉的家臣堀尾吉晴在出阵前一天吃了海苔卷,结果战争取得了大胜利(不过,板海苔是在江户时代诞生的,这种说法暂时没有太多根据)。



どこの風習?

恵方巻を食べるのは大阪の風習で、


大阪で恵方巻を食べる習慣は、江戸時代末期から始まりました。


商売繁盛や厄除けを祈願して「丸かぶり寿司」とも呼ばれます。


丸かぶりには、商売繁盛や家庭円満を祈るという意味があり、


商人が販促活動のために、この習慣を守り続けてきました。


中国語意訳:


吃惠方卷是大阪的风俗,大阪吃惠方卷的习俗从江户时代结束时开始,意在祈祷生意繁荣及除去厄运,


惠方卷在日语中也叫“丸かぶり寿司”,丸かぶり就蕴含着祈求生意繁荣家庭平安之意,


而商家为了促销活动,这个习俗也就一直保留下来。 


どの方角を向いて食べるか

恵方巻を食べる時の方角について、


その年の恵方(福の神のいる方角)を向いて、目を閉じて願い事を思い浮かべながら、切ったりしゃべったりせずにまるごと全部食べると幸運が訪れると言われています!


中国語意訳:


至于吃惠方卷的朝向问题,


说法是:面向当年的惠方(福神所在的方向)一边闭着眼睛想自己的愿望,一边吃整个惠方卷,不能切,也不能说话,就有好运气会来呀!


まとめ

今年の恵方は南南東!


実際のところ、太い巻き寿司をしゃべらずに黙々と一本全部食べるのは少し辛いです。


喉に詰まると大変なので、無理をしないようにボチボチ食べて、福を呼び込みたいものですね。

2023/02/02

節分情報アラカルト1


明日は節分です。巻きずし、お豆、鬼の面など用意されましたか?


今回は節分に関することを、日本語と中国語の対訳で紹介します。





そもそも節分はいつ?



節分(せつぶん、せちぶん)は、日本では季節を分けることを意味し、立春・立夏・立秋の前日のことで、季節の変わり目の前日です。


旧暦で一年の始まりの立春は特に重要な日とされ、江戸時代以降は特に立春の前日を指すようになりました。


中国語意訳:


节分在日本指各季节的分际,即立春、立夏、立秋、立冬的前一天,也就是各季节变化的前一天,


在旧历中,一年之始的立春被视为最重要的一天,造成在江户时代后常特指立春的前一天。



毎年、日が違う立春



いわゆる立春とは太陽黄経が315度となる日のことを言うので、節分は年によって異なります。2023年は2月3日です。


中国語意訳:


所谓立春只说太阳照射地球的角度呈现315度的日子,因此,每年的节分都不尽相同。在2023年时,节分是在2月3号。



悪霊ばらい行事の節分



季節の変わり目には、鬼、災い、病気など邪気が生じやすいと信じられていたため、それを追い払うための悪霊ばらい行事が必ずこの日に執り行われてました。


中国語意訳:


在季节交替时,易生邪气,如:鬼、灾祸、疾病,因此,必须在这一天举行驱逐恶灵的仪式。



節分の起源


「節分」は、中国古来の「追儺(ついな)」の風習が起源で、「追儺」は元々季節の変わり目の日に行われる中国の邪気祓いの儀式でした。


一年の最初の儀式は立春の前に春を迎えることであり、その後は各季節ごとに行われました。 このことは、『論語』にも記されています。 


唐の時代、宮廷では長安で盛大に新年の行事「追儺式」が行われました。 


今から約1300年前、日本の飛鳥時代に、中国・唐の制度が宮廷の儀式に広く取り入れられ、中国から伝わった追儺も日本の朝廷の儀式に取り入れられたのです。


中国語意訳:


节分”起源于中国古已有之的追傩习俗,“追傩”原是中国的一项驱除病魔恶鬼的仪式,于节令变换之日举行。


一年第一个仪式是立春前的迎春,然后依每个节令行事。《论语》对此也有记载。


到了唐朝,朝廷在长安举办盛大的新年活动:“追傩大典”。


约在1300年前,日本飞鸟时代,广泛吸收中国唐朝的制度,“追傩”也就被纳入日本朝廷的仪式。




歴史的変遷


平安時代の日本では、毎回の節分ごとに京都でこの儀式が行われ、国や人々の幸福を祈願しました。 


その後、徐々に全国の神社仏閣で行われるようになりました。 


室町時代以降、庶民の伝統的な行事と変わっていきました。 


明治以降は、ほぼ唐の制度に基づいた時期や趣旨で行われるようになったのです。


中国語意訳:


到了日本平安时代,每逢节分京都中就会举行这种仪式,祈求国家和百姓的安康。


后来仪式逐渐在各地的神社、寺院中举行。室町时代以后演变成到民间的传统节日。


日本明治年后大致参照唐制举办的时间与用意。



豆まき


節分祭の主な儀式は豆まきで、これは中国で邪気払いや疫病退散のために豆を撒く習慣に由来しています。


漢の時代の『龍魚河図』には、豆をまいて五方からの疫病神を追い払ったと記されています。


また、日本語の「豆」は「マメ」であり、「魔滅」に近い発音です。


豆は炒った大豆で、まず家の中から外に向かって「鬼は外!」と叫びます。 


次に、「福は内!」と叫びながら、外から内へ豆を撒いていきます。 


豆をまいた後は、自分の実年齢に1を足した年齢(数え年)分の豆を食べなければなりません。


日本では、この習慣は無病息災を祈るものだと考えられています。



中国語意訳:


节分祭中主要的仪式为撒豆子,源于中国的撒豆驱邪除瘟之俗,汉朝的《龙鱼河图》就有记载撤豆子驱五方疫鬼,加上豆子日文发音为まめ(mame),音像魔灭。


豆子是烘煎过的黄豆,首先从室内向屋外,一边喊:“鬼は外!(鬼向外)”,接着,从室外向室内撒豆,边喊:“福は内!(福向内)”。


撒完豆子后,人们必须吃下自己实际年龄加一(虚岁)的豆子,日本人相信这个习俗保佑身体健康不生病。


節分情報アラカルト、続きはまた明日!


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