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2021/10/27

新型コロナウィルス感染者が減少し

 

京都では、営業時間の短縮と酒類提供制限の要請が10月22日、約半年ぶりに解除されました。

 

この数日京都市内の繁華街は夜遅くまで会食を楽しむ人たちでにぎわっているとのことです。

 

今までガマンだったので、みんなとご馳走食べに行きたいですよね〜。



平安宮の時代でも同じように楽しく会食していたのでしょうね。

 

丸太町七本松の交差点から南東へ歩いて2分ほどのところに「豊楽院跡」があります。




「豊楽院」は、いわゆる迎賓館、宴会場でした。



道を挟んだ南側には「豊楽殿跡」の碑と案内板があります。

 

「豊楽院」の正殿が「豊楽殿」




近年発掘調査により、この一角に土が盛り上がったところがみつかり、

 

そこは当時の天皇が宴会に列席の際に使った玉座の基壇の跡だと分かったそうです。

 

また、「豊楽殿」は平安神宮の社殿のモデルになった建物です。

 

今の平安神宮の社殿は屋根瓦全体が緑色ですが、

 

発掘調査で見つかった「豊楽殿」の瓦は緑の割合がそれほど多くはなく、

 

当時の「豊楽殿」の屋根は今の平安神宮ほど緑ではなかったそうです。




「豊楽殿跡」の案内板には、QRコードがあり、Uni-Voiceというアプリを使って読み込むと、文字と音声の説明が読んだり聞けたりします。

 

日本語、英語、そして中国語もあるので、試してみました。

 

これはその中の一文です。

 

 

‟丰乐院则是在举办国家仪式后设宴的地方,于9世纪初期建造完成。”

Fēnglè yuàn zéshì zài jǔbàn guójiā yíshì hòu shèyàn de dìfang,yú 9 shìjì chūqī jiànzào wánchéng.

 

訳文:豊楽院は、9世紀初頭に国の儀式の後に宴会を行う場所として建設されました。


このシステムは、外国人観光客を対象にして、設置されたそうですが、こういうものを中国語学習のひとつのツールとして、活用するのもいいですね。


2021/10/26

京都市内、下立売通の一筋北は、新出水通です。

 

千本通と、この新出水通の交わる交差点を東に100メートル行くと

 

木造平屋の建物が並んでいます。

 

このあたりが、源氏物語の舞台にもなった、「弘徽殿」があったところです。





弘徽殿、天皇がお住まいの御所内にある後宮七殿のうちのひとつ。

 

天皇の住居である清涼殿の近くにあったので、

 

皇后や中宮、あるいは権力を持った女御が住まいとして使っていました。

 

弘徽殿,为天皇御所内的后宫七殿之一。

Hóng huī diàn,wéi tiānhuáng yù suǒ nèi de hòugōng qī diàn zhīyī.

 

由于位于天皇所居的清凉殿很近,

Yóuyú wèiyú tiānhuáng suǒ jū de Qīngliáng diàn hěn jìn,

 

因此多作为皇后、中宫或有势力的女御所居之宫室。

yīncǐ duō zuòwéi huánghòu、zhōnggōng huò yǒu shìlì de nǚ yù suǒ jū zhī gōngshì。




案内板があります。




この辺りは平安京の内裏でした。

 

内裏とは、天皇の私的区域のことで、御所、禁裏、大内などとも呼ばれます。

 

平安京の内裏は、内郭と外郭の二重構造で、

 

内郭はさらに南半部と北半部に分けられ、

 

南半部は儀式を行う「ハレ」の場、

 

「北」半部は天皇 とその家族の私的な生活空間「ケ」の場で、「後宮」と 呼ばれました。

 

確かに新出水通りの

 

「北側」に、

 

写真の案内板がありました。

 

弘徽殿は、すなわちその「後宮」で、位の高い方が住んでいたので、「源氏物語」の舞台だったわけです。




ここでクイズです。この平安皇族のお住まいだった場所、今は何でしょう?

 

答え:「民泊」として使われているそうです。外国人観光客も泊まるのですね〜。



2021/10/25

794年、桓武天皇によって都が平安京に定められました。

 

天皇が即位の儀式や政治を執り行うのが大極殿です。



平安宮の正門——朱雀門をぬけると、応天門の後ろにある朝堂院が見えます。

 

その正殿が大極殿です。

 

東西に九間(一間は約1.818m)、南北に2間の大きさです。

 

屋根は緑の釉薬をかけた瓦のデザインで、

 

周囲には朱色の欄干があり、

 

平安宮で最も大きな建物で、

 

レンガの床のメインホールの中央には、玉座が置かれていました。

 

穿过平安宫的正门——朱雀门,就可看到坐落在应天门背后的朝堂院,该正殿为大极殿。

Chuānguò Píng'ān gōng de zhèngmén —— zhūquè mén,jiù kě kàndào zuòluò zài Yìng tiānmén bèihòu de Cháo táng yuàn,gāi zhèngdiàn wéi Dà jí diàn.

 

其规模为东西长为九间(一间约1.818米),南北宽二间。

Qí guīmó wéi dōngxi cháng wéi jiǔ jiān (yì jiān yuē 1.818 mǐ),nánběi kuān'èr jiān.

 

屋顶有绿釉瓦设计为绿色,

Wūdǐng yǒu lǜ yòu wǎ shèjì wéi lǜsè

 

四周还围绕着朱红栏杆,

sìzhōu hái wéirào zhe zhūhóng lángān

 

该正殿为平安宫最大的建筑。

gāi zhèngdiàn wéi Píng'ān gōng zuìdà de jiànzhù

 

砖铺地面的正堂中央摆放着天皇御座。

Zhuān pū dìmiàn de zhèngtáng zhōngyāng bǎifàng zhe tiānhuáng yù zuò.



千本丸太町の交差点を北へ100メートルほど行き、千本通の千本丸太町バス停から西に少し入ったところに、

 

「大極殿遺跡」の石碑があります。




平安京遷都1100年の1895年に、

 

東寺や堀川を定点として計算したり、陸軍参謀機密の地図や昔の指図をもとに大極殿の位置を見つけ、

 

「大極殿は、ここだった!」と石碑が建てられました。

 

この碑の左右両側には築地(柱を立て、板を芯として両側を土で塗り固め、屋根を瓦で葺 (ふ) いた塀。古くは、土だけをつき固めた土塀)だったという場所に、丸い短い柱が二本と植え込みがあります。




しかしながら後の調査で、実際はここではなく、「大極殿」は

 

千本丸太町交差点北西側の歩道上だということがわかりました。




この位置に「玉座」があったそうです。

 

今は当然見る影もありませんが、アスファルトをめくるとすぐに、昔のものが出てくるそうです。




この下に、どんなものが埋まっているのか、平安時代の人々の暮らしを想像すると面白いですね。



2021/10/24

京都市平安創生館は、京都アスニー1階にあります。

 

平安時代の暮らしと文化を体験できるコーナーがあります。

 

平安時代の衣装、袿(うちき・女)・狩衣(かりぎぬ・男)(平安貴族の普段着)が自由に着ることができます。

 

残念ながら、今はコロナ禍で体験コーナーの利用を休止中ですが、「平安時代の人はこんな服を着ていたのか」と見ていて楽しいです。




さらに、平安貴族の遊び道具もあります。

 

【貝合わせ】




【偏継(へんつぎ)】 偏(へん)と旁(つくり)で漢字を作ります。




【盤双六(ばんすごろく)】



「双六すごろく」は中国語でも‟双六”

 

‟双陆 (古代棋盘游戏)”とも言うようです。

 

説明:

 

古代博戏用具同时也是一种棋盘游戏。

 

Gǔdài bó xì yòngjù tóngshí yě shì yì zhǒng qípán yóuxì.



棋子的移动以掷骰子的点数决定,首位把所有棋子移离棋盘的玩者可获得胜利。

 

Qízǐ de yídòng yǐ zhì tóuzi de diǎn shù juédìng,shǒuwèi bǎ suǒyǒu qízǐ yílí qípán de wán zhě kě huòdé shènglì.



古代の勝ち負けをかけるゲームの道具、またボードゲームでもあります。

 

駒の動きはふったサイコロの目の数で決まり、先に盤からすべての駒を取り除いたプレイヤーが勝ちとなります。




双六は中国唐の時代に伝わったそうです。

 

その唐の時代の「楊貴妃」が、三千人の后妃がいる中で、玄宗皇帝に好かれたのは、

 

中国四大美女に挙げられるほどのすご〜〜い美人だったのに加えて、

 

玄宗皇帝と趣味があったから。

 

二人とも「双六」がとても好き。

 

毎日やっていたので、家来もやりだし、大流行になったそうです。

 

上の写真の【盤双六(ばんすごろく)】を見て、日本の平安貴族から、楊貴妃まで話がふくらみました。



2021/10/23

京都御苑の中にある宗像神社の鳥居をくぐったすぐ右手に楠の大木があります。

 

樹齢約400年だそうです。

 

江戸時代の始め頃から、ずっとここで歴史の変遷を見守って来たのですね。




しめ縄が巻いてあり御神木!



奥まで進んでいくと、社殿の左側にもう一本大きな木が見えます。

 

塀のなかにあって木の下の方はみえません。

 

神社をぐるっと一周まわってみましたが、下の方はやはり見えませんでした。

 

調べると、これも楠で、樹齢600年だそうです。

 

今から約600年前というと、室町時代。

 

もしかしたら、この木は足利義満に会ったことがあるかも!

 

一休さんやそのお父さんと言われる後小松天皇も見たことあるかも!





そう思うと、歴史上の人物がとても身近に感じます。

 

楠の大木さん、応仁の乱にも焼けずに残っていてくれて、ありがとう。




たいぼく【大木】  の中国語は

 

大树dàshù,巨树jùshù

 

例文:

 

あの大木は3人で抱えるほどある|那棵大树要三个人才能合抱得过来。Nà kē dàshù yào sān gerén cáinéng hébào de guòlái.

 

 一抱えもある大木|足有一搂粗的大树。Zú yǒu yì lǒu cū de dàshù.

 

‟搂lǒu”は、(胸に)抱く.という意味


  

楠の大木が大きく根を張っている|大樟树根深蒂固。Dà zhāngshù gēn shēn dì gù

 

楠(くすのき) は、‟樟木zhāngmù,樟树zhāngshù”です。

 

‟根深蒂固 gēnshēn dìgù ”は、成語、四字熟語で(事柄の)基礎がしっかりしていてぐらつかないことを表します。



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