794年、桓武天皇によって都が平安京に定められました。
天皇が即位の儀式や政治を執り行うのが大極殿です。
平安宮の正門——朱雀門をぬけると、応天門の後ろにある朝堂院が見えます。
その正殿が大極殿です。
東西に九間(一間は約1.818m)、南北に2間の大きさです。
屋根は緑の釉薬をかけた瓦のデザインで、
周囲には朱色の欄干があり、
平安宮で最も大きな建物で、
レンガの床のメインホールの中央には、玉座が置かれていました。
穿过平安宫的正门——朱雀门,就可看到坐落在应天门背后的朝堂院,该正殿为大极殿。
Chuānguò Píng'ān gōng de zhèngmén —— zhūquè mén,jiù kě kàndào zuòluò zài Yìng tiānmén bèihòu de Cháo táng yuàn,gāi zhèngdiàn wéi Dà jí diàn.
其规模为东西长为九间(一间约1.818米),南北宽二间。
Qí guīmó wéi dōngxi cháng wéi jiǔ jiān (yì jiān yuē 1.818 mǐ),nánběi kuān'èr jiān.
屋顶有绿釉瓦设计为绿色,
Wūdǐng yǒu lǜ yòu wǎ shèjì wéi lǜsè
四周还围绕着朱红栏杆,
sìzhōu hái wéirào zhe zhūhóng lángān
该正殿为平安宫最大的建筑。
gāi zhèngdiàn wéi Píng'ān gōng zuìdà de jiànzhù
砖铺地面的正堂中央摆放着天皇御座。
Zhuān pū dìmiàn de zhèngtáng zhōngyāng bǎifàng zhe tiānhuáng yù zuò.
千本丸太町の交差点を北へ100メートルほど行き、千本通の千本丸太町バス停から西に少し入ったところに、
「大極殿遺跡」の石碑があります。
平安京遷都1100年の1895年に、
東寺や堀川を定点として計算したり、陸軍参謀機密の地図や昔の指図をもとに大極殿の位置を見つけ、
「大極殿は、ここだった!」と石碑が建てられました。
この碑の左右両側には築地(柱を立て、板を芯として両側を土で塗り固め、屋根を瓦で葺 (ふ) いた塀。古くは、土だけをつき固めた土塀)だったという場所に、丸い短い柱が二本と植え込みがあります。
しかしながら後の調査で、実際はここではなく、「大極殿」は
千本丸太町交差点北西側の歩道上だということがわかりました。
この位置に「玉座」があったそうです。
今は当然見る影もありませんが、アスファルトをめくるとすぐに、昔のものが出てくるそうです。
この下に、どんなものが埋まっているのか、平安時代の人々の暮らしを想像すると面白いですね。