雪は降ってないけど今日から「大雪」
今年は今日12月7日(水)から、二十四節気の「大雪(たいせつ)」に入ります。

「大雪」は、雪が降って積もる頃とされていますが、雪が降るのはまだ少し先ですね。
けれどもさすがにこの時期、次第に寒さが増してきました。
大雪的意思是天气更冷,降雪的可能性比小雪节气时更大了,并不指降雪量一定很大。
中国古人是说此时因天气寒冷,寒号鸟也不再鸣叫了;此时是阴气最盛,所谓盛极而衰,阳气已有所萌动,老虎开始有求偶行为;“荔”为马兰草,即马兰花,据说也能感受到阳气的萌动而抽出新芽。
日本語意訳:
大雪はさらに寒くなることを意味し、小雪の節気の時よりも雪が降る可能性が高くなりますが、必ずしも降雪量が多いというわけではありません。
古代中国では、この時期は寒いので、寒苦鳥(カンクチョウという想像上の鳥)も鳴かず、
陰の気がピークに達したので、いわゆる、盛きわまって衰えるで、今度は陽の気が動き始め、
虎が求愛し始めたり、「荔」というコヨナメ草、つまりコヨナメの花が、陽のエネルギーの芽生えを感じ、新しい芽を出すとも言われていました。
「大雪(たいせつ)」だけにお体「たいせつ」に!!
虽败犹荣
サッカーワールドカップ決勝トーナメント、日本はクロアチアと対戦。
前半に先制点が入った時は「うわー!すごい!」
でも後半に追い付かれて、PK戦の末にクロアチア代表に敗れて残念でした。
日本点球大战惜败克罗地亚。
Rìběn diǎnqiú dàzhàn xībài Kèluódìyà.
日本、クロアチアにPK戦の末に惜敗。
負けはしましたが“虽败犹荣‘’
虽败犹荣,suī bài yóu róng,
意思是虽然失败了,但还是非常光荣的意思。
虽败犹荣は
失敗しても、とても名誉なことという意味です。
クロアチアに負けはしましたが、ドイツとスペインという強豪を破っての大活躍の日本チームに多くの人が熱くなりました。

今夜も日本チームがんばれー
サッカーのワールドカップ、今回は意外な番狂わせが多いですね。
試合などに番狂わせが起こることを、中国語で‟爆冷门 bào lěngmén” と言います。
”爆 bào ”は、「予想外に現れる.急に起こる」と言う意味で、
例文:爆出特大新闻/特大のニュースが起こった。
冷门[lěngmén] は、(賭博・競馬などで)だれもあまり金をかけないところ.あな.
例文:那次比赛爆出了个冷门。/あの試合は番狂わせが出た.
冷门の反対は‟热门 rèmén ”で、「人気がよい、売れ行きがよい、(試験などの)競争率の高い、、注目を引く物事」を指します。
同じ‟门”という漢字は付きますが、
サッカーでシュートを打つことを”射门shèmén”
ゴールは”球门qiúmén”。
ゴールインは”踢进球门tījìn qiúmén”
今夜夜中の12時からのコスタリカ戦でも、是非たくさん”射门shèmén”して勝って欲しいですね。

京都通の隠れた新名所
昨日は「京都堀川インの散策ツアー」で「京都市平安京創生館」に行きました。
ここは平安京に関することが一気に分かる展示施設です。
キャッチコピーが「京都通の隠れた新名所」。
現在の京都の礎ともなった平安京が一望できる「平安京復元模型」や、
発掘調査で出土した物や復元品なども展示されていて、「平安京のくらしと文化」がよく分かります。
目を引くのが赤い柱の建物の模型。
これは何?

これは「豊楽殿」の模型です。
豊楽殿って?これもあまり聞いたことがない!
豊楽殿とは,平安京で外国の使者を迎えての宴会や大嘗祭など,国としての大宴会を行う施設である豊楽院の正殿です。
ああ、宴会場ですか。
その規模は東西約46m,南北23mといいますから相当大きな建物です。
東西約46mって、もう約50m。
私が小学校の時に50m走があり、50mを何秒で走れるか計りましたが、50mは長くて走るのしんどかったのがよみがえります。
また小学校のプールは25mで当時は途中で足をつかずに泳げない長い距離でした。
50mはその倍ですから、もうどんなけ(どれだけ)長い。
それほど大きくて、朱塗りの柱と白壁がとても華やかな建物だったそうです。
これは今の平安神宮の社殿のモデルになったと言われています。

今の平安神宮↑↑
その豊楽殿がかつてあった場所にも行きました。
「京都市平安京創生館」から歩いて3分位のところです。

ここには今は何の建物も建っていませんが、先ほど見た模型を思い浮かべて、
「ああいう形の巨大な建物がここにあって、大宴会が開かれていたのか、どんなごちそうがあったのかな」と思い巡らすと、一見ただの空き地がおもしろく見えてきます。
床もみじ
今日は「京都堀川インの散策ツアー」で京都御苑に行きました。
御苑の西南に位置する「閑院宮邸跡」で、外のもみじがが室内の床板に映り込む「床もみじ」が見られました。

晩秋の美しさがたっぷり味わえました。
隠れた名所です。
またこの施設内では京都御苑に関する歴史と自然をビデオや展示物でわかりやすく紹介してあり、
おススメスポットです。
でも‥‥そもそも「閑院宮(かんいんのみや)」って、あまり聞いたことがありませんよね。
閑院宮家は伏見宮家、桂宮家、有栖川宮家と並ぶ四親王家の一つで、
閑院宮の血統が今上天皇である現在の皇室まで皇統として続いています。
閑院宮家は1710年に東山天皇の皇子直仁親王を初代として創立されました。
そして今の位置(京都御苑の南西部)に屋敷を構えました。
当初の建物は天明の大火(1788年)で焼けてしまいましたが、その後再建されました。
明治2年に首都が東京に移り、閑院宮も東京にお引越し。
それからは、華族会館や裁判所として一時使用されたこともありました。
お公家さんが住んでいた建物と庭園を巡って、晩秋を満喫したツアーでした。
ご参加いただいた皆様に「ここはステキ!穴場ですね!」と言っていただきありがとうございました。