城崎温泉の旅を満喫
先日豊岡で研修会があったので、その前の日に城崎温泉に行ってきました。
城崎温泉について
城崎温泉は、道智上人によって開かれた1000年以上の歴史を持つ温泉です。
古くは「但馬湯」と呼ばれ、平安時代(西暦794年〜1192年)、南北朝時代(1366年〜1392年)には
京都の貴族や文人たちに親しまれた所です。
城崎温泉は、七つの外湯が主役です。
城崎温泉駅と外湯を結ぶ大谿川沿いに温泉街が形成されています。
川沿いの柳の木が特別な雰囲気を醸し出しています。
中国語では:
城崎温泉,由道智上人开创,已有千年以上的历史。
古时称“但马汤”,是日本平安时代(公元794—1192)、南北朝时代(1366—1392)京都贵族、文人的清游之地。
城崎温泉以七汤的外汤为主体,温泉街沿着连接城崎温泉车站和外汤的大谿川形成,川畔的柳树散发特殊风情。
七つの外湯のうち、休業していた「さとの湯」以外、全て入ってきました。
伝説
飛鳥時代の629年、傷を負ったコウノトリがお湯に浸かって癒していた事により発見されたとの伝説。
奈良時代初期の717年(養老元年)に同地を訪れた道智上人が千日間の修行を行った末に720年に湧出した伝説。(現在の「まんだら湯」とも伝えられています。)
道智上人は温泉寺開山でもあり、温泉寺は以後、城崎温泉を象徴する存在となりました。
城崎という名前の由来
ロープウェーで途中下車して、温泉寺にお参りしました。
お寺のお坊さんが温泉寺の歴史や安置されている仏像について説明して下さいました。
奈良の長谷寺の十一面観音像は大木の根元に近い部分で作られ、大木の中ほどの部分で鎌倉の長谷寺の十一面観音像が作られ、
このお寺の本尊の十一面観音像は木の先(きのさき)の部分で作られたため、この地が「きのさき」に!
後に「城崎」という漢字が使われるようになったそうです。
豊岡の研修会で中国語講座
中国語講座を担当
昨日はインバウンド対策の研修が豊岡で開催され、私は中国語講座を担当しました。
参加されたのは豊岡市の観光協会、旅館やホテルの宿泊事業者、旅行事業者、交通事業者、アクティビティ事業者、小売事業者、飲食事業者などで、
中華圏からの外国人観光客をお迎えするにあたって、よく使う中国語のフレーズを紹介し、発音練習していただきました。
皆さん、とても熱心で、積極的に聴いて下さり、そして皆さん英語がお出来なので語学のセンスが良いのか、中国語の発音もとても上手でした。
終了後、
「とてもおもしろかった」
「盛り上がったね」
「由良先生の中国語講座、ものすごく、楽しかったです。海外からのお客様とたとえ、一言でも通じあえると、ものすごく盛り上がりますよね。教えて頂いたこと、活かします‼️」
「楽しく、元気の出る研修をして頂きまして、ありがとうございました。先生の講義を聴くと、『もっと、もっと勉強して話したい!』という気持ちが強くなりました。」
との参加者の方々からの感想をいただきました。
次第に回復して来たインバウンド
今回、研修会の前日に城崎温泉に行きました。
メイン通りや外湯、ロープウエイで、多くの外国人観光客の姿を見ました。
台湾や香港からと見受けられる方々が大勢いました。
関係者によりますと、宿泊予約も順調に増えているそうです。
外国人観光客が豊岡市での滞在中、快適に過ごすことができ、
また次へとつながるリピーター確保のためにも
今回の研修でお伝えしたことが少しでも役立つなら、こんなに嬉しいことはありません。
京都松尾大社「今月のことば」
京都松尾大社に行くと、「今月のことば」として、このような四字が書かれていました。
「凍解氷釈」
どういう意味????
【凍解氷釈】とうかい-ひょうしゃく
疑問や問題が、氷が解けてなくなるように消えて解決すること。
「解」「釈」はともに、ここでは氷が解けること。
出典:朱熹(しゅき)「中和旧説序(ちゅうわきゅうせつじょ)」
中国語では:
冻解冰释 dòng jiě bīng shì
比喻困难和障碍象冰冻融解那样消释。
Bǐyù kùnnan hé zhàng'ài xiàng bīngdòng róngjiě nàyàng xiāoshì.
2023年の2月4日(土)は立春でした。暦の上ではもう春が始まっていますが、実際には一年で最も寒い時期です。
氷が解けるのが待ち遠しく、そして本当に氷が解けるようにさまざまな問題が解決することを願います。
そんな思いを込めて、松尾大社ではこれが「今月のことば」になっているのでしょう。
元宵節の風習
提灯なぞなぞ
「提灯なぞなぞ」は、中国独特の民俗色に富んだレクリエーションで、元宵節の特徴的なイベントとして古くから伝わっています。
旧暦の1月15日、人々は色とりどりの提灯を吊るし、花火を打ち上げます。
そして、もの好きな人々が短冊になぞなぞを書いて色とりどりの提灯に貼り、人々がそれを当てるのです。
なぞなぞは知恵を啓発し、お祭りの雰囲気に合うので、多くの人がなぞなぞ解きに応じ、次第に元宵節に欠かせないイベントとなりました。
提灯なぞなぞ解きは、祭りの雰囲気を盛り上げるとともに、古代の漢民族の労働者の聡明さと才知と、豊かな生活へのあこがれを表しています。
「提灯なぞなぞ」は 、提灯祭りの後の追加行事として、宋の時代に登場しました。
南宋時代、都の臨安で元宵節に謎かけをし、多くの人がそれを当てました。
当初は短冊に書いたなぞなぞを色とりどりの提灯に貼り付けて、人々に当ててもらいました。
なぞなぞは、知的好奇心を刺激し、面白いので、社会階層を問わず人気があったのです。
中国語意訳:
”猜灯谜”是中国独有的富有民族风格的一种汉族民俗文娱活动形式 ,是从古代就开始流传的元宵节特色活动。
每逢农历正月十五,民间都要挂起彩灯,燃放焰火,后来有好事者把谜语写在纸条上,贴在五光十色的彩灯上供人猜。
因为谜语能启迪智慧又迎合节日气氛,所以响应的人众多,而后猜谜逐渐成为元宵节不可缺少的节目。
灯谜增添节日气氛,展现了古代汉族劳动人民的聪明才智和对美好生活的向往。
“猜灯谜”又叫“打灯谜”,是元宵节后增的一项活动,出现在宋朝。
南宋时,首都临安每逢元宵节时制迷,猜谜的人众多。
开始时是好事者把谜语写在纸条上,贴在五光十色的彩灯上供人猜。
因为谜语能启迪智慧又饶有兴趣,所以流传过程中深受社会各阶层的欢迎。
なぞなぞに挑戦!
それでは、なぞなぞを解いてみましょう!
八十八、ある漢字一字を当ててください。
答え:「米」
ゴールキーパー、ある漢字一字を当ててください。
答え:「闪」(門の中に人)
72時間、ある漢字一字を当ててください。
答え:「晶」(日が3つで、1日24時間×3日=72時間)
まとめ
中国も日本も漢字を使うので、このような「なぞなぞ」は親しみやすく面白いですね。
では日本語でなぞなぞ!
「お腹をすかしたパンダの手にできてしまうものは何でしょう?」
ヒント:ハラがへったから ◯◯をくれ!
答え:「ささくれ(笹くれ)」(ジャンジャン)
元宵節に食べるもの
元宵を食べる
元宵節は正月15日のことで、中国では古くから「元宵」を食べていました。
宋の時代、明州(現在の浙江省寧波市)で目新しい食べ物が生まれ、それは最初「浮元子」、後に「元宵」と呼ばれ、商売人の間では麗しく「元宝」とも呼ばれていました。
元宵は砂糖、バラ、ゴマ、あずき餡、豆板醤、黄耆、肉桂、クルミ、落花生の実、ナツメなどをあんにして、もち米粉で包んで丸い形にしたもので、肉をいれたり野菜のみの具材もあり、様々な風味がありました。
これをスープに入れて煮たり、揚げたり、蒸したりして食し、これには(別れていた親族が)団らんするという意味があります。
陝西省では、元宵を包むのではなく、もち米粉の中で「転がして」作り、茹でたり揚げたりして作り、あつあつほかほかの丸々です。
吃元宵
正月十五吃元宵,“元宵”作为食品,在中国也由来已久。
宋代,当时明州(现为浙江省宁波市)兴起吃一种新奇的食品。
这种食品,最早叫“ 浮元子”,后称“元宵” ,生意人还美其名曰“元宝” 。
元宵以白糖、玫瑰、芝麻、豆沙、黄桂、核桃仁、果仁、枣泥等为馅,用糯米粉包成圆形,可荤可素,风味各异。
可汤煮、油炸、蒸食,有团圆美满之意。
陕西的汤圆不是包的,而是在糯米粉中"滚"成的,或煮司或油炸,热热火火,团团圆圆。
注釈:”团圆tuányuán ” には、(離散した肉親や夫婦が)再会する,いっしょになる,長期の離散の後に再会するという意味と
円形の、丸形の、という意味があります。
歴史的な伝説
元宵節の風習の成立については、さまざまな説がありますが、一般的には漢の時代にひな形が形成されたと考えられています。
記録によれば、漢の武帝の時代、漢族は「太一」という神を祀っていました。
「太一」は当時をときめく、五帝より上位の著名な神で、漢の皇帝に利益を与えたので、より盛大に祀られていました。
关于元宵节习俗的形成,说法颇多,但一般变为在汉代就初具雏形。
史载汉武帝的时候,汉室要祭祀一位叫“太一”的神明。
据称“太一”是当时相当显赫的一位神明,地位在五帝之上,并有恩于汉帝,所以受到的奉祀比较隆盛。
伝説によると、漢の武帝の時代に「元宵」という名の宮廷女官が、長年宮中に閉じ込められ、両親を思っては毎日泣いて暮らしていました。
大臣の東方朔は彼女を助けようと思い、玉皇大帝(中国道教における事実上の最高神)が正月15日に長安を焼くよう火の神に命じたと、漢の武帝に嘘をつき、その災難から逃れるには正月15日に「元宵」女官に、火の神が好む団子をたくさん作らせ、臣下に提灯を立てさせて出すしかないと言いました。
漢の武帝はそれを聞き入れ、「元宵」はついに家族に会うことができ、それ以来、元宵節を祝うようになりました。
相传汉武帝时宫中有一位宫女,名叫“元宵”,长年幽于宫中,思念父母,终日以泪洗面。
大臣东方朔决心帮助她,于是对汉武帝谎称,火神奉玉帝之命于正月十五火烧长安,要逃过劫难,唯一的办法是让“元宵姑娘”在正月十五这天做很多火神爱吃的汤圆,并由全体臣民张灯供奉。
汉武帝准奏,“元宵”姑娘终于见到家人。此后,便形成了元宵节。
元宵節の起源について、民間には面白い言い伝えがあります。
元宵節の起源は、春秋時代の楚の昭王と伝えられています。
ある正月十五日、楚の昭王が長江を通りかかると、川の水面に外が白くて中が赤い甘くておいしそうな食べ物が浮かんでいるのが見えました。
楚の昭王が孔子にこれは何かと教えを乞うと、「これは王のもとにもたらされた吉祥です」と言われました。
この日が正月15日であったため、この日が来るたびに、昭王は部下に命じて麺でこの果物を模し、サンザシで作った赤い餡で煮て食べました。これが現在の元宵節の原型となったそうです。
それ以来、元宵節に元宵を食べるのが伝統になりました。
关于元宵节吃元宵的来历,民间还有种有趣的传说。
相传:元宵起源于春秋时期的楚昭王。
某个正月十五日,楚昭王经过长江,见江面有漂浮物,为一种外白内红的甜美食物。
楚昭王请教孔子,孔子说"得之主复兴之兆"。
因为这一天正是正月十五日,以后每逢此日,昭王就命手下人用面仿制此果,并用山楂做成红色的馅煮而食之,这便是现今元宵的雏形。从此,元宵节吃元宵便成了一种传统。
元宵を食べる風習を今も大切に
旧暦の1月15日の元宵節には、北京の飲食店や菓子屋、さらには道の両脇には元宵の屋台が並び元宵が販売され、各家庭でもあつあつの湯気が立つ元宵を食べ、先祖から受け継いだ風習をとても大切にしています。
吃元宵
元宵佳节,北京的饮食、糕点铺,甚至连马路两边都设摊兜售元宵,家家户户在正月十五这天都吃碗热气腾腾的元宵,人们是多么留恋我们祖先遗留下来的风俗呀!