嵐電の新発見
嵐電は京都の街を走る路面電車
便利な市民の交通手段として、親しまれています。

嵐山本線(あらしやまほんせん)は、京都市下京区の四条大宮駅から右京区の嵐山駅までを結ぶ京福電気鉄道の軌道路線です。
岚山本线是自日本京都府京都市下京区的四条大宫车站至右京区的岚山车站的京福电气铁道的轨道路线。
Lánshān běn xiàn shì zì Rìběn Jīngdū Fǔ Jīngdū Shì xià jīng qū de sì tiáo Dàgōng chēzhàn zhì Yòujīng qū de Lánshān chēzhàn de jīng fú diànqì tiědào de guǐdào lùxiàn.
北区の北野白梅町駅から右京区の帷子ノ辻(かたびらのつじ)駅までを結ぶ北野線(きたのせん)も、嵐山本線とともに嵐電(らんでん)と呼ばれています。
1910年(明治43年)3月25日 - 嵐山電車軌道により京都駅(現・四条大宮駅) - 嵐山駅間が開業。
1910年(明治43年)3月25日 - 岚山电车轨道开业。京都车站(现四条大宫车站) - 岚山车站之间的铁路。
1910 nián (Míngzhì 43 nián) 3 yuè 25 rì - Lánshān diànchē guǐdào kāiyè.Jīngdū chēzhàn (xiàn sì tiáo Dàgōng chēzhàn) - Lánshān chēzhàn zhījiān de tiělù.
「四条大宮駅」はむかし「京都駅」だったのか!?
国鉄の京都駅もあったから、京都駅が二つあったことになるやん!?
1914年(大正3年)度 - 壬生駅開業(1918年以降に廃止)。太秦駅を太子前駅に改称。
1914年(大正3年)- 壬生车站开业(1918年之后废除)。太秦车站改名为太子前车站。
1914 nián (dà zhèng 3 nián) - Rénshēng chēzhàn kāiyè (1918 nián zhīhòu fèichú).
Tài qín chēzhàn gǎimíng wèi tàizǐ qián chēzhàn.

むかしは「壬生駅」があったとは知りませんでした。
場所は今の壬生川通りの辺りだそうです。
今は「太秦広隆寺駅」になっている「太秦駅」。
東映太秦映画村や東映京都撮影所の最寄り駅です。
ここの駅名はかつて「太子前駅」だったとは!
広隆寺は聖徳太子ゆかりのお寺ですから、納得です。
長年、慣れしたんできた「嵐電」、
百年の歴史のなかで、様々な変遷をたどってきた「軌跡」に、
新しい発見があって面白いなあと思いました。
なぜ銀杏は臭いのか?
银杏果为什么臭臭的?
随分涼しくなってきました。
公園のイチョウの木に、実がたくさんなっています。

木の下には、銀杏がたくさん落ちています。
これを踏むと「臭い」匂いがしますね。 これはなぜでしょうか?

銀杏の臭いにおいは、揮発性脂肪酸の働きです。
银杏果臭味是挥发性脂肪酸的作用。
Yínxìng guǒ chòuwèi shì huīfāxìng zhīfángsuān de zuòyòng.
銀杏は「裸子植物」であり、果実を形成せず、種子の外側に果皮を持たずに直接空気に触れます。
銀杏の「実」と呼ばれるものは、実は銀杏の「種」なのです。
銀杏の種子は、「皮」と「実」の2つに分けられます。
種皮は外側から順に3層に分かれており、
一番外側には黄色の肉厚な皮、
真ん中には白い硬い皮(白い果実の殻)、
いちばん内側には非常に薄い皮があり、
これらで、実(白い果実)を包んでいます。
この3層の皮の中で、外側の皮には、さまざまな揮発性物質が含まれています。
銀杏の成熟した種子に悪臭を与えるのが、揮発性脂肪酸という物質です。
とても臭いから、動物も敬遠して、実は食べられずに残ることができるといういう自衛策だそうです。
イチョウは2億年前から存在し続けているのも、こういう理由があったのですね。
銀杏は食べ過ぎると中毒になる
中国のネットによりますと、
銀杏に含まれるヒドロシアン酸の量は、830マイクログラム/100gと多く、
銀杏の故郷として有名な浙江省長興県では、地元の病院で大量の中毒患者が出ています。
1歳未満の乳児の場合、10粒の銀杏でも死に至る可能性があり、
また、3歳から7歳の子供でも30〜40粒を食べると中毒症状が現れ、重症の場合は死に至ることもあります。
このように、見た目は可愛いらしい銀杏、危険が潜んでいるので気を付けましょう。
しかし、食べ過ぎない範囲で、
この旬の時期に食べてみたいです。
公園にも銀杏を拾っている人がいました。
でも私は臭いのに耐えられず、写真を撮るのが精いっぱいで、拾うのはちょっと無理かな。
マスク着用で話し方や態度「変わる」6割超
(逾6成人因戴口罩而改变说话方式和态度)
文化庁の調査によりますと、
マスクの着用で話し方や態度が変わると答えた人は6割を超え、
声の大きさや発音、相手の反応に気をつけるといった変化があるとのこと。

NHKのニュースより:
关于自己的说话方式和态度是否因佩戴口罩而发生了改变,62%的受访者回答“有所改变”;37%回答“没有改变”。
マスクを着けると話し方や態度が変わるか聞いたところ、「変わることがある」が62%、「変わることはない」が37%でした。
回答“有所改变”的受访者还以多选方式回答了具体变化。
変わると答えた人に具体的な変化を複数回答で尋ねると、
其中,74%的受访者表示“会注意说话声量”,占比最高;
そのうち、「声の大きさに気をつける」が74%と最も多く、
58%的受访者表示“会注意口齿清晰”;
「はっきりした発音で話す」が58%、
45%表示“会注意自己与对方之间的距离”;
「相手との距離に気をつける」が45%、
40%表示“会留心观察对方的表情和反应”。
「相手の表情や反応に気をつける」が40%でした。
思い起こせば、2003年に流行した重症急性呼吸器症候群(SARS:サーズ)の時に、マスクをして通訳したことがありました。
相手もマスクをしていて、よく聞き取れなくて何回も聞き返したりして苦労し、自分も話しにくかったのを覚えています。
マスクをつけると、口元が隠れて相手の表情が分かりにくくなり、表情による気持ちが伝わらないので、分かりやすい言い方をするのが大事ですね。
また、声がこもり聞こえにくくなるので、通常よりも大きな声でゆっくりと、活舌よく話したほうがいいですね。
マスクをつけるの面倒、うっとおしい、とマイナス思考になりがちですが、
マスクをつけているから、発音に気を付けて、口を大きめに開けてはっきり話そう、相手の言う事をよく聞こうとすれば、
「禍を転じて福と為す」で、上手くコミュニケーションがとれるようになるのではないでしょうか。
嵐の後には虹が出ます。
目の前の障害物は成長のためのものと考え、このコロナ禍を乗り越えていきたいものです。
学习外语原则 Xuéxí wàiyǔ yuánzé
一 应该是符合教育学,心理学,信息学原理
yīnggāi shì fúhé jiàoyùxué,xīnlǐxué,xìnxī xué yuánlǐ
研究表明:人获取的外界信息中,83%来自视觉,11%来自听觉,3.5%来自嗅觉,1.5%来自触觉,1%来自味觉,显然增加视觉、听觉信息量是多获取信息最可取的方法。
Yánjiū biǎomíng:Rén huòqǔ de wàijiè xìnxī zhōng,83 % láizì shìjué,11 % láizì tīngjué,3.5 % láizì xiùjué,1.5 % láizì chùjué,1 % láizì wèijué,xiǎnrán zēngjiā shìjué、tīngjué xìnxīliàng shì duō huòqǔ xìnxī zuì kěqǔ de fāngfǎ.
二 应是有趣,自然式的学习方法,而非强迫.(对意志坚强,毅力特好者例外)
yìng shì yǒuqù,zìrán shì de xuéxí fāngfǎ,ér fēi qiǎngpò(Duì yìzhì jiānqiáng,yìlì tè hǎo zhě lìwài)
学习应该是一种乐趣,而不是痛苦.这点对三分钟热度的人特别重要.
xuéxí yīnggāi shì yì zhǒng lèqù,ér bú shì tòngkǔ.Zhèdiǎn duì sānfēnzhōng rèdù de rén tèbié zhòngyào.
多年从应试教育中辛苦走过,对强迫式的学习实在是怕,能避则避,能逃则逃。
Duōnián cóng yìngshì jiàoyù zhōng xīnkǔ zǒuguò,duì qiǎngpò shì de xuéxí shízài shì pà,néng bì zé bì,néng táo zé táo.
每个人还是希望有一种趣味式,自然式的学习方法能达成我的愿望.
Měi ge rén háishì xīwàng yǒu yì zhǒng qùwèi shì,zìrán shì de xuéxí fāngfǎ néng dáchéng wǒ de yuànwàng
訳文:
外国語学習の原則
先ず、 教育、心理学、情報学の原理に則ったものであること。
人が外界から得る情報の83%は視覚から、11%は聴覚から、3.5%は嗅覚から、1.5%は触覚から、1%は味覚から得ているという研究結果があります。
2つ目は、強制ではなく、楽しく自然に学べること。 (意思の強い人、我慢強い人は例外ですが。)
学習は苦痛ではなく、楽しいものでなければなりません。 これは特に、あきっぽい人にとっては重要なことです。
長年、試験型の教育で頑張ってきて、強制的な学習が怖くて、できる限り避けたいと思っています。
みんなはやはり、望みを実現するために、楽しく自然に学べる方法を求めています。
確かに、私などは高校の時に、英語がきらいだったというわけではなく、
当時流行っていたアメリカやイギリスのロック歌手の「レコード」(古い〜〜)を擦り減るほど聞いて、歌ったりしていました。

でも、学校の英語の授業の「グラマー」がイヤでイヤで、本当に嫌いでした。
あなたが中国語で「楽しく自然に」学んでみたいのは何ですか?
例えば:
視覚から→ドラマ、映画
聴覚から→音楽、演芸
嗅覚から→アロマ、お香
触覚から→あらゆるもの
味覚から→おいしいもの
私は長年、中国語一筋で、今までの中国語の勉強は「苦行、修行」的なところもありました。
辛くて泣くこともしばしばでした。
もちろん、乗り越えた!という達成感が自信につながることはあったのですが、
しかし今振り返れば、「辛さ」と「上達」は正比例では無かったと思うのです。
「楽しく自然に」リラックスして学ぼう!
勉強をする前に先ず、この点を意識されてはいかがでしょうか。
運転免許証の更新手続きに行かなければならない時期になりました。
ちなみに私は無事故無違反のゴールド免許です。

现在考驾照的人越来越多了,
Xiànzài kǎo jiàzhào de rén yuèláiyuè duō le,
但是这其中有很大一部分人是考完驾照后,
Dànshì zhè qízhōng yǒu hěn dà yíbùfen rén shì kǎo wán jiàzhào hòu,
好几年甚至十几年没开过车,或者实际开车的时间很短,
hǎojǐ nián shènzhì shí jǐ nián méi kāi guo chē,huòzhě shíjì kāichē de shíjiān hěn duǎn,
这部分人就是所谓的“本本族”,
Zhè bùfèn rén jiùshì suǒwèi de “běnběn zú”
意思就是他们虽然驾驶证上的驾龄时间很长,
yìsi jiùshì tāmen suīrán jiàshǐ zhèng shàng de jià líng shíjiān hěn cháng,
但是实际开车很少,缺乏上路经验,
dànshì shíjì kāichē hěn shǎo,quēfá shànglù jīngyàn,
也就是开车技术渣渣。
yě jiùshì kāichē jìshù zhā zhā。
訳文:
今、運転免許を取る人が増えていますが、
運転免許取得後、数年から十数年運転していない、あるいは実際の運転時間が非常に短い人が多く、
このような人はいわゆる「本本族(ペーパードライバー)」と呼ばれています。
つまり、長い間運転免許証を持っているにもかかわらず、実践的な運転経験が少なく、
路上での経験も少ないため、運転技術が低いのです。
解説:
驾照 jiàzhào→ 運転免許証
渣渣 zhā zhā→重慶、河北、四川、貴州の方言で、「ゴミ、役立たず、低レベル」という意味。
本本族 běnběn zú→ ペーパードライバー
「本本」とは、技能証明書、学力証明書、成績証明書などのことで、
最初、「本本族」は運転免許証は持っているけど車を持っていない人を指す言葉でした。
私はすなわち“本本族”
ゴールド免許なのは、車の運転をここ何年もしていないから。
もはや、どれがブレーキでアクセルか忘れてしまったほど、全く操作できません。
「もうできない」、「無理、無理」と思い込んでしまっているところがあります。
でも、車が運転出来たらいいなあ、とよく思うのです。
中国語の学習においても、「あ〜もう、発音がむずかしい!」、「ここの文法、わけわからん」、「これだけやっているのに全然上達していない」と思うことがよくあり、
「私なんか歳がいっているから、無理」、「時間がないから無理」、「素質がない」など、
自分の頭の中で、自己批判の声が渦巻きます。
でも、こうなりたい自分を実現するには、常にささやくこうした自己批判の声を追い出して、
ネガティブな思考に支配されないように、
ネガティブという「否定」を「否定」して、「肯定」に変えて、
前向きに
そのなりたい姿に向かって
一歩ずつ、進んでいくのが大事ではないでしょうか。
運転免許、更新を機会に「運転にチャレンジ!」してみようかな。