餃子の誕生
よく作る中華料理のひとつに「餃子」があります。
その「餃子」、どのようにして生まれたかはご存知でしょうか?
今日は、餃子の歴史的な由来をお伝えします。
餃子はもともと“娇耳”と呼ばれ、中国の医聖・張仲景が初めて考案したと言われています。
饺子原名“娇耳”,相传是我国医圣张仲景首先发明的。
“娇耳”とは、「かわいい耳」という意味で、確かにそう言われれば、餃子の形って「耳」に似てます!
張仲景の「祛寒娇耳汤」というスープの話は、今も人々の間で語り継がれています。
他的“祛寒娇耳汤”的故事在民间流传至今。
伝説によると、張仲景が長沙の知事だった頃、よく人々の病気を治していました。
相传张仲景任长沙太守时,常为百姓除疾医病。
ある年、地元で疫病が流行ったとき、役所の入り口に釜を作り、薬を与えて人々を救い、そのことで長沙の人々に深く愛されました。
有一年当地瘟疫盛行,他在衙门口垒起大锅,舍药救人,深得长沙人民的爱戴。
冬至のときに長沙から故郷に戻った張仲景は、故郷の白河のほとりに行ってみると、多くの貧しい人々が飢えと寒さに苦しみ、耳が凍ってしまってぼろぼろになっているのを見ました。 当時は腸チフスが流行していて、多くの人が亡くなっていたのでした。
张仲景从长沙告老还乡后,正好赶上冬至这一天,走到家乡白河岸边,见很多穷苦百姓忍饥受寒,耳朵都冻烂了。原来当时伤寒流行,病死的人很多。
彼は非常にやりきれなく思い、彼らを救おうと決意しました。
他心里非常难受,决心救治他们。
帰宅した張仲景は、治療にやって来る人の多さに圧倒されながらも、いつも耳が凍ってしまった人たちのことを気にかけていました。
张仲景回到家,求医的人特别多,他忙的不可开交,但他心里总挂记着那些冻烂耳朵的穷百姓。
彼は長沙で行っている方法に基づいて、弟子たちに南陽東門の空き地に医療小屋と釜を設置させ、冬至の日から、貧しい人たちに薬を与えて治療にあたりました。
他仿照在长沙的办法,叫弟子在南阳东关的一块空地上搭起医棚,架起大锅,在冬至那天开张,向穷人舍药治伤。
張仲景のつくった薬膳スープは「祛寒娇耳汤」というもので、漢の時代の300年にわたる臨床をまとめて作られたものです。
このスープの作り方は、羊の肉と祛寒の薬を煮て、それを細かく切って、小麦粉でこねた生地で包み、「耳の形」にして、煮ます。
2個の「耳」の形をした具が入った一杯のスープを、一人づつに配り、人々はスープを飲んだ後、体が温まり、血流がよくなり、耳も温かくなりました。
そして、皆は冬至から大晦日まで食べ続け、腸チフスを防ぐことができ、凍った耳も治りました。
張仲景は1800年近く前の人ですが、彼のこのスープの話は広く人々の間に伝わっています。
現在では、凍った耳を治すために餃子を食べる必要はありませんが、餃子は最も一般的で好まれる食べ物になっています。