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中国語で「節分情報アラカルト」 その1

節分情報アラカルト1


明日は節分です。巻きずし、お豆、鬼の面など用意されましたか?


今回は節分に関することを、日本語と中国語の対訳で紹介します。





そもそも節分はいつ?



節分(せつぶん、せちぶん)は、日本では季節を分けることを意味し、立春・立夏・立秋の前日のことで、季節の変わり目の前日です。


旧暦で一年の始まりの立春は特に重要な日とされ、江戸時代以降は特に立春の前日を指すようになりました。


中国語意訳:


节分在日本指各季节的分际,即立春、立夏、立秋、立冬的前一天,也就是各季节变化的前一天,


在旧历中,一年之始的立春被视为最重要的一天,造成在江户时代后常特指立春的前一天。



毎年、日が違う立春



いわゆる立春とは太陽黄経が315度となる日のことを言うので、節分は年によって異なります。2023年は2月3日です。


中国語意訳:


所谓立春只说太阳照射地球的角度呈现315度的日子,因此,每年的节分都不尽相同。在2023年时,节分是在2月3号。



悪霊ばらい行事の節分



季節の変わり目には、鬼、災い、病気など邪気が生じやすいと信じられていたため、それを追い払うための悪霊ばらい行事が必ずこの日に執り行われてました。


中国語意訳:


在季节交替时,易生邪气,如:鬼、灾祸、疾病,因此,必须在这一天举行驱逐恶灵的仪式。



節分の起源


「節分」は、中国古来の「追儺(ついな)」の風習が起源で、「追儺」は元々季節の変わり目の日に行われる中国の邪気祓いの儀式でした。


一年の最初の儀式は立春の前に春を迎えることであり、その後は各季節ごとに行われました。 このことは、『論語』にも記されています。 


唐の時代、宮廷では長安で盛大に新年の行事「追儺式」が行われました。 


今から約1300年前、日本の飛鳥時代に、中国・唐の制度が宮廷の儀式に広く取り入れられ、中国から伝わった追儺も日本の朝廷の儀式に取り入れられたのです。


中国語意訳:


节分”起源于中国古已有之的追傩习俗,“追傩”原是中国的一项驱除病魔恶鬼的仪式,于节令变换之日举行。


一年第一个仪式是立春前的迎春,然后依每个节令行事。《论语》对此也有记载。


到了唐朝,朝廷在长安举办盛大的新年活动:“追傩大典”。


约在1300年前,日本飞鸟时代,广泛吸收中国唐朝的制度,“追傩”也就被纳入日本朝廷的仪式。




歴史的変遷


平安時代の日本では、毎回の節分ごとに京都でこの儀式が行われ、国や人々の幸福を祈願しました。 


その後、徐々に全国の神社仏閣で行われるようになりました。 


室町時代以降、庶民の伝統的な行事と変わっていきました。 


明治以降は、ほぼ唐の制度に基づいた時期や趣旨で行われるようになったのです。


中国語意訳:


到了日本平安时代,每逢节分京都中就会举行这种仪式,祈求国家和百姓的安康。


后来仪式逐渐在各地的神社、寺院中举行。室町时代以后演变成到民间的传统节日。


日本明治年后大致参照唐制举办的时间与用意。



豆まき


節分祭の主な儀式は豆まきで、これは中国で邪気払いや疫病退散のために豆を撒く習慣に由来しています。


漢の時代の『龍魚河図』には、豆をまいて五方からの疫病神を追い払ったと記されています。


また、日本語の「豆」は「マメ」であり、「魔滅」に近い発音です。


豆は炒った大豆で、まず家の中から外に向かって「鬼は外!」と叫びます。 


次に、「福は内!」と叫びながら、外から内へ豆を撒いていきます。 


豆をまいた後は、自分の実年齢に1を足した年齢(数え年)分の豆を食べなければなりません。


日本では、この習慣は無病息災を祈るものだと考えられています。



中国語意訳:


节分祭中主要的仪式为撒豆子,源于中国的撒豆驱邪除瘟之俗,汉朝的《龙鱼河图》就有记载撤豆子驱五方疫鬼,加上豆子日文发音为まめ(mame),音像魔灭。


豆子是烘煎过的黄豆,首先从室内向屋外,一边喊:“鬼は外!(鬼向外)”,接着,从室外向室内撒豆,边喊:“福は内!(福向内)”。


撒完豆子后,人们必须吃下自己实际年龄加一(虚岁)的豆子,日本人相信这个习俗保佑身体健康不生病。


節分情報アラカルト、続きはまた明日!