仏事等の供物として用いられることも多い和菓子の『落雁』
このことから、落雁は和菓子の中でも高級なものとされています。
先日、父に教えてもらいながら初めて作ってみました。
作ったのはこの三色。
下の写真のこの木型は40年前くらいにあつらえで作ったそうです。
今はこのような木型が作れる職人さんが非常に少ないので、木型を壊さないように細心の注意を払うように何度もいわれました。
木型から出したところ。私がやったので~~す。↓
父は和菓子作り一筋約60年の職人でしたが、高齢のため仕事としての菓子作りは5年前にやめました。
私は中国語の通訳、翻訳、ガイドをずっとやってきて、家業を継ぐということはなく、父を手伝うことはあっても、自ら菓子を作るということはありませんでした。
今年に入ってから父が腰椎を2か所骨折し、母も大腸ポリープで、体調がすぐれない両親の世話をするため実家に帰ることが多くなりました。
「迷惑かけてすまんな、ワシは菓子しか作れへんのや」と痛そうにしょんぼりして言う父を見て
「骨が引っ付いてよくなったら、菓子作りを私に教えて」と言うと、パッとにわかに顔色がよくなり
「わかった」と嬉しそうに笑うのです。
それから約7か月が経って骨も順調に固ってきて、主治医から背骨を固定しているコルセットを家の中では外してもいいと言われ、少し痛みも和らいできた父は、
「菓子、なにを作ってみる?」と聞いてくるほどになりました。
「ええ?大丈夫?まだ痛いんちゃうの?ムリしたらあかんで」と私。
そして、父に教えてもらいながらの和菓子作りに挑戦することになったのです。
すると自分でも思いのほか上手くできて、
職人気質で普段何事にもあまり褒めない父が「初めてにしては上手い」と言うのです。
やはり実際には作ったことはなくても、小さいころからずっと父の作る姿を見ていたので、「門前の小僧習わぬ経を読む」ではないですが、ある程度できるのでしょう。
私は、「京菓子の技術継承」など全く考えたことがありませんでした。
「うちの菓子屋は父で終わり、残念ながらその技術を継ぐ人はいません」と思っていました。
しかしながら今回こうして教えてもらいながら改めて和菓子にふれると「作る楽しさ」を感じ、
また「菓子作りにも学問がある」ことに気づき、
更に中国から伝わってきた菓子が日本ではどのような変遷をたどってきたかなどを調べてみたりしていると
「和菓子作り」にとても興味が湧いてきました。
そして何より、もうお葬式会場を探そうかと思ったほど弱り切っていた父が、
私に菓子作りを教えることで少しでも、張り合いを感じて元気になってくれることがとてもうれしいのです。