「京の五条の橋の上」と言えば
源義経(牛若丸)と武蔵坊弁慶が出会った場所として知られていますが、
この辺りはむかし、源氏物語の主人公「光源氏」の実在モデルの有力候補といわれる
「源融(みなもとのとおる)」の大邸宅があったのはご存知ですか?
その邸宅は「河原院(かわらのいん)」というとっても広いお屋敷だったそうです。
五条通と木屋町通が交差するところを高瀬川沿いに少し南に行くと
目立って大きな木があります。
これはエノキの木で、「河原院」の森に有った木の最後の一本。
根元には「此付近 源融河原院跡」と記された石柱が立っています。
説明を書いた看板も立っています。
英語、韓国語と合わせて中国語もありました。
源融の死後は子の昇が相続して、昇は宇多上皇に献上して仙洞御所となったそうです。
そして、ここは平安貴族の邸宅ですから、優雅で華麗なイメージがしますが、
怖い話がたくさんあるそうで、その中の一つにこのような話があります。
《今昔物语集·卷27·2》:
《Jīnxī wù yǔ jí · juǎn 27 · 2》:
源融死后,宇多法皇一日夜半在河原院中遇见源融的鬼魂说:“这是臣之家宅”,
Yuán róng sǐ hòu,Yǔduō fǎ huáng yí rìyè bàn zài Héyuán yuàn zhōng yùjiàn Yuán róng de guǐhún shuō:“Zhè shì chén zhī jiāzhái”,
法皇喝道:“你的儿子已将其献于朝廷”,
fǎ huáng hèdào:“Nǐ de érzǐ yǐ jiāng qí xiàn yú cháotíng”,
至此后,源融的鬼魂再也没有出现。
zhìcǐ hòu,Yuán róng de guǐhún zàiyě méiyǒu chūxiàn.
訳文:
《今昔物语集·卷27·2》:
源融の死後、宇多上皇はある日の真夜中に河原院で源融の幽霊を見ました。幽霊が「ここは私の家です」と言ったので
上皇は「お前の息子から貰ったのだ」と一喝すると、
それ以降、源融の幽霊は二度と現れなくなりました。
源融は自分の家が気に入っていて、執着があったのでしょうか。
「食い物の恨みは怖い」と言いますが、